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【日曜日】僕らが小さかった頃のテレビ、戻らないのは自分

      2016/09/25

昔のテレビ

週末、日曜日のテレビ

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この前久しぶりに復活していた『どうぶつ奇想天外』を観て、ふと思った。自分がまだ小さかった頃のテレビについて。週末、日曜日について。

当時4,5歳、そして小学生時代の私の日曜日のテレビといえば、6時台の『ちびまる子ちゃん』、『サザエさん』、7時台の『鉄腕DASH』、そして『どうぶつ奇想天外』だった。

これが私が小さかった頃の日曜日のテレビの黄金リレー。定番であり、毎週末の楽しみだった。

 

お風呂に早くはいる日曜日

無機質なバスタブ

黄金リレーを見逃すわけにはいかない。少したりとも見逃してはならない。

その一心で私は日曜日は早くからお風呂に入っていた。大体5時過ぎには入っていた。5時半じゃちょっと不安だった。

6時のまるちゃんが始まる前には絶対にお風呂から上がり、テレビをスタンバイ。やがて始まる夕食にあわせて観るのがルール。小さかった頃には絶対的だった自分ルール。

 

まるちゃん、サザエさんにみる家族愛

両親にブランコ

今思えば『ちびまる子ちゃん』、『サザエさん』を観ることで、私は「家族愛」を確認していたのかもしれない。

テレビの中にあるさくら家、磯野家、そしてその他、様々な家族の姿。家族愛、絆、幸せ。

それらを自分の現実世界の家族と重ね合わせることにより、自分の家族愛はどうかをみていたように思える。

そして、そこで学んだのは家族にも色々あること。家族を構成する人々のキャラクター(性格)は様々であり、そのキャラクターにより作り出される家族の姿、家族愛は様々であることを学んだのだ。

家族に優劣はつけられない。

 

鉄腕DASHで自然の豊かさ、人々の知恵を知る

田んぼと虫とり少年

鉄腕DASHで描かれるTOKIOの姿は私の憧れだった。

ある時は畑を耕し、ある時は重機を操り、ある時は、生き物を捕まえる。どれも自然の豊かさと、人々の知恵を知るのには十分過ぎた。

あれから10年以上経った今も、彼らはあの時と同じように日本を冒険し続けている。

 

どうぶつ奇想天外と世界の広さを知る

アフリカゾウ

どうぶつ奇想天外を観れば私の週末は終わり。9時になったらベッドに入る時間だった。

その分、この番組にかける私の想いはかった。

世界の過酷な環境で生きる生き物の姿を知った。豊かさを知った。同時にの儚さを知った

 

ウルルン滞在記で垣間見る、人々の出会いの美しさ

棒を持つマサイ族

私の日曜日はどうぶつ奇想天外を観れば終わり。「寝るように」との親からの指示が飛ぶ。

どうぶつ奇想天外のラストであるトップ賞の発表。この時、終わりゆく日曜日への名残惜しさは最高潮に高まる。

クリスタルフロスキーとかいう宝石は、当時の私にとっては大層なお宝に見えた。

しかし、時々夜更かしをする親に混じって、稀にだが『ウルルン滞在記』を観ることが許された時があった。

ウルルン滞在記で描かれる世界は私にとって大き過ぎた。

家族と、ごく身近な友達との関係しか築いたことがない小さかった頃の私。ウルルン滞在記はそんな小さな世界では描かれていない。

地球の裏側に住む人間同士がいきなり出会い、生活を共にし、別れる時には涙を流す。

このことが私にとっては大きく、衝撃的なことだった。人と人の出会いはこんなに素晴らしいものなのか、自分にもこんな出会いが訪れるのだろうか。

まだ見ぬ世界に言い表せない期待感と緊張を感じたことを今でも覚えている。

 

今の僕らはテレビを楽しめているか

小さかった頃の私は、今ではどこかに行ってしまった。

テレビを食い入るように見るためには、要らぬ知識をつけすぎたようだ。

いつの頃からか、テレビで放送される情報に対して斜に構えるようになり、その裏側にある大人の汚さを見つけることに躍起になっていやしないか。

純粋にテレビを観ていた頃の私は、もう戻ってこない。慌てて風呂に入ることも、もうない。

録画しておけばいつでも観られる。録画しておけば、巻き戻し、一時停止は自由。見逃すまいと瞬きを忘れることもないのだ。

来世でまた、テレビを楽しく観たい。

 

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