日本三大庭園の岡山後楽園って?現地でインタビューしてみた。
2016/03/22
目次
地元民なのによく知らない、ほぼ行ったこともなかったけど…
岡山にある後楽園は、岡山駅から徒歩では20分ほど。ちょっと街はずれにあるお庭です。※バスとかも出ていますよ。
この庭園は金沢にある兼六園、水戸市の偕楽園とならび日本の三大庭園の一つとして名を博しています…。博しているのかな?(焦)※正しくは日本三園とか日本三名園と言ったりもするのだそう。
後楽園は私が住んでいるところからそう遠くない位置にあります。行こうと思えばいつでも行ける。でも地元民は多分あまり行かない。近すぎると興味なくなってしまうんですよね。あるあるだと思います。一応、季節ごとのイベントでは年齢層も様々、多くの地元の方がいらっしゃるみたいですが…。基本は外国人の方か、観光でいらした他県の方だと思われます。
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ですが、今回改めて行ってきました!地元に”三大○○”なんてもの観とかなきゃなっていうのと、岡山の看板名所なので。地元民も把握しておかねばという謎の使命感で行きました。※岡山には観光地といえば、他に美観地区くらいしかないんだもの…。で、結果。
結論:行って良かった。
どうせならということで、ボランティア?で活動されているガイドさんにも色々とインタビューしながら回ってきました。大変丁寧に説明してくださり、いい勉強になりました。結論、後楽園とっても気に入りました(笑)手のひらを返しました。
それ以降私は、一人でふらふら散歩する場所に決定してしまいました(笑)
今回はそんな後楽園の概要と私の体験談、形を変えて残る歴史について考えたいと思います。
後楽園ってどう出来たの?
岡山後楽園は、今から300年ほど、当時の岡山藩のお殿様である第2代藩主池田綱政のやすらぎの場として、家臣のである津田永忠によって作られたものだといわれています。お殿様の命令により、津田さんは貞亭4年(1687)に着工、元禄13年(1700)には一応の完成をみました。
ですが、その後も、藩主が変わる毎にその好みに応じた細工を施される後楽園、でも一応は江戸時代の時の姿を大きく変えることなく、残ってきた庭園という話らしいです。
この庭園に関する史料は数多く残されているため、歴史的な変遷もかなり明らかに。このような庭園は全国的にも希なんですよ。
そういえば、過去の私はしぶしぶ来ていた
私は、日本三大庭園の一つである後楽園の歴史や概要についてあまり知らずにきましたホント。実は過去に2回くらいは来ているんですが、当時はあまり深く知ろうとはしていなかったことや、周囲の人たちに連れてこられた感があったのを否めません。今よりもさらにガキンチョでしたからね…。興味なかったんですよね。これはもう仕方ないですよね。おじいちゃんおばぁちゃんの行くとこだと思ってましたから。でも、今こうやって行こうと思えたということは、私も成長したからなのではなかろうか…。
変化に変化を重ねる後楽園
そもそも後楽園は、綱正の時代には現在のような回遊式の形はとっていなかったらしいです。※回遊式というのはぐるっと歩いて全部観てしまえるタイプのことです。
この方式をとったのは、綱政の子、継政の時だそう。それまでは、藩主の居間である延養亭や、園内に点在する建物からの眺望を楽しむという形式をとっていました。※歩かずに止まって観る式ということです。
ですが、継政の代で園の中央に唯心山を築いたことや、新しい水路、さらにはひょうたん池の制作によって歩いて回っても楽しい庭園として変化していったというわけです。
唯心山からの眺め(来た時期がまずかったか、芝が…)
能に前撮り、結婚式。形を変えて歴史は”活きる”
入り口からも近い位置にある延養亭では、時期にもよるそうですが、限定的に見学者を募集しており中に立ち入れる様子。
またそれに隣接する能舞台。こちらは現役の能舞台としては国内有数のものということで、大変価値のあるものらしい。
しかし、私が驚いたのはそこではないんです。この能舞台、貸出を行ったりもしているらしい。神主を招いてここで結婚式を行い、新郎、新婦が庭園を散歩したり、前撮りの際にも後楽園が利用されることもあるという。築庭当時、後の世で結婚式に庭園が使われることをお殿様は予測していただろうか。いやしていなかっただろう(反語)
このような使い方は確かに元の製作者の意図せぬところであるとは思います。ですが、こういった伝統的な建設物、施設などが時代の需要に応じて、使用の形を変えることも私は必要であると思います。じゃないと廃れてしまう。甚だしくその使い道を誤りさえしなければ、その時々の需要に応え、多くの人にその存在を知ってもらうことは大切。そうすることで、その存在意義と価値が一層高められ、後世へと伝えていくための理由と原動力になりえるからです。
古い歴史も、常に現代=新しい歴史を生きる人々と一緒に時間を重ねています。
都市と共存する庭園
庭園内には多くの植物が植えられ、季節によって様々な姿を見せてくれます。綺麗な芝、ツツジ、カキツバタ。池には大賀ハスや、大名ハスが咲き誇る時期もありますよ。ガイドの方によると、園内のハスのすべてを大賀ハスに切り替えるプロジェクトの構想もあるという。※大賀ハスは2000年前から蘇った古代のハス。
また、樹木でいえば桜、梅、紅葉などが綺麗です。
そして庭園の周囲なんですが、これを囲んでいるのは竹藪です。でも、これは当時のものではないらしい。
後の時代になって、ビルなどの高い建物が後楽園の周辺に増加してきました。これを受け、景観維持のための目隠しとしての竹藪が採用されたというわけ。
つまり、築庭当時は竹藪など庭園を囲む高い樹木はなく、前述の延養亭からは中央の芝に飛来してきたといわれる多くの鶴が観えた。さらには園内の田畑、奥に見える千入りの森(染物用語に由来)や、そして園外の遠くの山がズドンとすべてが開けて見えていたことになるのだそう。しかもこの山、しかも月が山の稜線にそって昇る様に見えるよう計算されているらしい。すべてが計算済み、手が込んでる。
残念ながらそれと全く同じ景観を現在では見ることはできません。ですが、それもまた、時代の移り変わりに伴い変化してきた後楽園の姿なのでしょう。
デートにもイイかも♪
以上が後楽園の紹介になります。
行って思ったのですが、デートにかなりおすすめです。特に付き合いたてがイイかな(笑)
二人で手を繋いで歩く、鯉にエサやったり、お抹茶を飲んだりもできます。
ゆっくりと流れる時間を共有すれば、2人の距離も縮まるはず。最初からがっつき過ぎはよくない。付き合い始め数回のデートは気持ちの余裕を見せた方がいいんじゃないかと思います。で、この私の記事で得たうんちくも少々交えつつ会話をば…。(笑)
でも、さらに頑張りたいそこのアナタには、後楽園から程近い距離にある碧水園というところで貸しボートもありますよ!(いやベタか?)