【子どもの日記念】思い出せ、遠いあの日のハンドシェイク
ハンドシェイクは絆の証
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昔、友達と「ハンドシェイク」をやっていました。またの名を「握手」。
ただ、そのハンドシェイクは決して「握手」と呼べるような日本的なものではなくて、もっとアメリカンなものでした。
慣れ親しんだ友達が出会ったタイミングにやる、いくつかのステップを踏んでやる儀式のようなものでした。その儀式は絆の証でもありました。
5月5日は子どもの日。
そこで今回は、ちょっとだけ昔に記憶を遡り、思い出話をしてみようと思います。まだまだ子どもの方も、もう大人の方も、昔の記憶というものは大事にしまっておいて欲しいな、そんな話です。
A君との出会い
ハンドシェイクをやっていたのは、中学1年生の頃。当時通っていた中学校には、A君という友達がいて、その中学校には入学のタイミングで他県からやってきていました。
私自身もその中学校に馴染みがあったわけではなく、Aくんと時期は違うにせよ別の県からやってきた上で入学した身でした。身の上が近いせいか意気投合するのも早かったような気がします。
A君とは同じ部活に入り、休みの日は女の子も交えてグループで頻繁に遊び、色んな話をしました。
やがてA君は言いました。「あれ、やってみたいな!ほら、アメリカ人とかがよくうあってるあれだよ!ハイタッチしたり、握手したりとかするあれ!あ、でもさすがにハグはいらないわ(笑)」
これが私とA君とのハンドシェイク誕生の瞬間でした。
やり方には様々ある
A君と私は自分たちなりのハンドシェイクのステップ(パターン)を考えるようになりました。
まず、出会った瞬間はハイタッチ。その後はお互いにグータッチ、もう一方の腕でもう一回グータッチ…。
そんないくつかのステップを繰り返していきます。それらを順序良く行えるようにしたり、様々な組み合わせをA君と二人で何度も考えました。
最初は気恥ずかしさが拭えませんでしたが、段々と慣れていき本気でやるようになりました。
気恥ずかしさはあるものの…
やり方さえ決まってしまえば、後はやるだけ。学校に登校して最初に会う瞬間、一緒に遊ぶ時、A君とのハンドシェイクはもはや当たり前のものになっていき、やらなくては落ち着かないようになりました。
周りの友達は「お前ら、仲良いな(笑)」なんて言ったりしてきて、その度に恥ずかしさを感じたりもしました。ただ、これは私とA君の間では欠かせない「儀式」のようなものになっていましたから、絶対やらなくちゃいけないし、やらないなんてことは考えられませんでした。
少しずつやらなくなったあの日
学年が上がるとA君とはクラスも離れました。特に受験期になると忙しくなりましたし、A君と一緒に仲良くしていた女の子グループとの付き合いが上手くいかなくなり、遊ぶ機会も減りました。
私達のハンドシェイクは遠い日のものになっていきました。
そしてそのまま中学を卒業。A君とは顔を合わせなくなりました。当然、ハンドシェイクをやることはありませんし、私もやり方を段々と忘れていきました。
思い出せ、遠いあの日のハンドシェイク
A君は今も私達なりのハンドシェイクを覚えているのでしょうか。そもそも、ステップを決めたことすら覚えているでしょうか。会うこともないので、聞いたことはありません。というか、怖くて聞けない。
でも、もし次会った時、自然とハンドシェイクができれば嬉しいな、なんて思ったりします。
今この瞬間、私はA君とのハンドシェイクのやり方を思い出すことができません。
ただ、A君の顔を見た瞬間、そのやり方をパッと思い出せるような気もする。なんとなくですが。そんな気がしているのです。A君はどうでしょうか。