【実体験】大学生は劣等感&リア充との戦いだ、マジで
2017/05/31
目次
自由がゆえの戦い
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大学生になると、自分でできること、自分で決められることの選択肢が一気に増えます。これは、高校生までの大人に決められていたあらゆる制約(後述)からの解放を意味します。
そう、大学生は自由です。
しかしながら、「自由には責任が伴う」といったことと同時に、「大学生は劣等感とリア充の戦いが始まる時期だ」とも私は思います。
今回はそんなお話を、大学生活が終わりを迎えつつある私の実体験を交えながらお話していきます。
リア充度には差が出る
大学生になると選択肢の自由が広がり、それによってリア充度にも差が出てきます。
何をもって「リア充」とするかは人それぞれです。「そんなのはリア充じゃねぇし、どうでも良いわ!」という方もいらっしゃるでしょう。
ただ、代表的なものを挙げるならば「彼氏・彼女の有無」、「勉強の習熟度」、「バイトでたくさん稼いでいること(忙し過ぎるのもアレだけど)」、「活発なサークル活動」、「大学内での友達の多さ」でしょうか。
これらは、それぞれで充実している度合いが深い場合でもリア充ですし、広く浅くそれぞれ充実している場合でもリア充と呼べるでしょう。
これらは高校生の時よりは、大学生の方が自由に行えますよね。大学生の制約はぶっちゃけない。なぜなら、大学生は基本的に暇だし自己責任ですから。
なかでも「バイトは大学生からじゃないとできない」という方も多く、このバイトによって得られたお金で大学生の行動は活発化します。
恋人とデートに行くにしても、友達とデートに行くにしても、サークルで打ち上げをするにしても、お金はやっぱり必要です。
行動する人は行動するし、行動しない人はとことん行動しない
前項のように大学生は時間に余裕がある分、起こせる行動の選択肢や時間の使い方にも幅があります。
ですが、必ずしも大学生になったからといって、その時間の余裕を最大限に活かそうとする人も居れば、全く活かさない人も居ます。これは「個人の行動力の差」によります。
私の大学にも居ましたが、「友達とたまってカード・携帯ゲームをずっとやる」なんて、大学生も大勢居ました。もちろん、本人たちはそれで楽しいのかもしれませんし自由なんですが、代表的なリア充の形からはかけ離れていますよね。行動できていないもの。
しかもタチが悪いのは、彼らのように「行動しない人たちは、行動する人たちに厳しい」ということです。
「ふぅー!リア充してるね」とはやしたてるのとかはまだマシ。一番腹立たしいのは、「で?それで?それの何が良いわけ?」といった態度ですね。
偏見かもしれないけど、リア充とされる行為とかけ離れた行動をしている人(非リア充)ほど、その対極にいる人(リア充)に厳しいんですよ。
充実しているけど充実していない、これは非リア充なのか?
「俺には彼女も居る、サークルも楽しい、バイトも頑張っていて遊ぶお金もないわけじゃない」
でも、だけれども、なんていうか…
俺ってリア充だけどリア充じゃない!
傍から見ればリア充の条件は揃っているけれど、充実しているつもりはない。
という人も居るでしょう。条件は揃っていても、満足はしていないわけですよ。充実の度合いがあまりにも浅過ぎる。
特に彼氏・彼女との関係が上手くいっていない人なんかは、一気にこれにあてはまるでしょう。それだけ、恋愛の充実度はリア充かどうかということにおいて、ポイントが高い項目なんです。
劣等感の発生。結局比べてしまうんだ、私たちは。
結局、自分がリア充かどうかを判断する時には、自分自身の感情に加えて「他の人と比べるとどうか」という点に落ち着きます。
リア充とされる人たちと比べた時に、自分の方がリア充ではないと感じれば、それは劣等感です。
しかもこの劣等感はすでにお話してきたとおり、選択肢の多い大学生ほど厳しく辛い戦いとなります。
どんどん差がついてくるんだもの、マジで。劣等感との戦いは大学生の時期で一気に激化します。
独立したリア充要素を作っておきたい
厳しく辛い劣等感との戦いから逃れるには、「独立したリア充要素」を作っておきたいものです。他の人との比較に負けないくらいものものを。
それが趣味でしょう。趣味は個人の自由ですから。どれだけ楽しもうと、どうのめり込もうと自由です。
自由な大学生ができることの中でもとびきりの自由、それが趣味です。