【卒業】別れの悲しみと辛さは人それぞれ、強要はNGだと知ったこと
2017/01/25
目次
別れの悲しみと辛さ
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人は多くの出会いと別れを繰り返しながら生きていく生き物です。
出会いと別れには、嬉しいこと、喜んだこと、悲しいこと、辛いことがあります。
そんな出会いと別れでも、今回取り上げたいのは「別れ」の方。卒業シーズン間近だからこそ読んでいただきたい、私の実体験に基づく話です。
大学4年生の私、こんなことがありました。
卒業を間近に控える大学4年生の私。以前友人Aとの会話で、こんなやり取りがありました。
友人A「もう少しで卒業か…、早かったなぁ。俺は多分卒業式で泣くわ…」
私「えぇ、そんなに?会おうと思えば会えるでしょ。泣くなって(笑)」
友人A「だってさ、就職でBは埼玉行くし、Cは福岡。なかなか会えないんだぞ…。」
私「まぁ、そうなんだけどさ…。俺高校の時は思いっ切り泣いたんだけどな。」
友人A「それはなぜ泣いたわけ?」
私「うーん、あれは確か部活の集まりで泣いたっけな。俺高校時代は部活が生き甲斐だったから。」
友人A「そうなんだ…」
卒業と就職によって訪れる別れが、悲しく辛く、泣きそうだという友人A。そして、大学の卒業式では泣かないという私。
この構図、ぱっと見「私」という人間が冷たく薄情なヤツで、「友人A」が人情味があって良い性格の持ち主であるように見えます。
でも、友人Aはそんな私に怒った様子も、不思議そうな様子もみせませんでした。若干の温度差は感じていたかもしれませんが、印象としては「まぁ、人それぞれかなぁ…」といった感じでした。これは友人Aが良いヤツだから怒らないというのもありますが。
ただ、仮にここで友人Aが私に「怒る」「不機嫌」になるといった態度をとるのは、正解なのでしょうか?
そのことを考えるには、私という人間が悲しくも辛くもない原因を考えた方が良いでしょう。
少なくとも「”現時点では”悲しくも辛くもない」なんですけどね(笑)
想いの深さが違うのかもしれない
私という人間が悲しくも辛くもない(現時点では)というのは、「大学生活への想いへ深さが友人Aとは違うから」なのかもしれません。
もちろん、全く充実していなかったわけではないですが、「もっと色々やれたし頑張れたな」、「楽しみ方が他にもあったんじゃないかな」といった悔いがあります。
だからあまり「深い想いを抱けていない」というのが、悲しくも辛くもない原因なのかもしれません。
別れへの慣れがあるのかもしれない
私はこれまでに何度か大きな引っ越しをしたり、家族との別れを経験しています。もちろん、皆さんも経験があるとは思うんですけど。
もしかすると、私は「別れへの慣れがある」のかもしれません。だからイマイチ別れに対して、「仕方ない」、「そういうこともある」と思ってしまい、悲しくも辛くもないと考えてしまうのかもしれませんね。
会おうと思えば会えるでしょ?
卒業や就職で訪れる誰かの別れというのは、「今生の別れではない」場合がほとんどです。
よっぽど事情が無い限り、「生きている人間同士は会おうと思えば会える」のです。今生の別れなんて早々訪れるもんじゃないんです。
だから「別れの時に泣く必要はない、また会えるでしょ?最後は笑顔で」。このセリフ、あちこちで聞きますよね。
別れの悲しみと辛さの強要はNGだけど…
これまでお話したような理由から、自分以外の人間に「別れの悲しみと辛さの強要はNG」でしょう。その人が悲しくも辛くもない、あるいは悲しいし辛いというのは、その人のこれまでの経験や考えによってもたらされるものであり、人それぞれの減少なのです。
「自分も悲しいから、他の人も悲しい」というのは大きな誤算なのです。
とはいえ、別れを大切にしなくても良いというわけではありません。もちろん、出会いも。出会いと別れは繰り返すものですが、その一つ一つがかけがえのないものです。
出会いと別れに無関心になることだけは、避けなければなりません。
出会いも別れも経験しなくなった時、人の成長は止まるでしょう。